Tequila
昨日(2025年7月30日)の朝、日本の太平洋沿岸の広範囲に津波警報が出されました。ちょうど僕は目的地へ向けて巡航中でした。旅客機のコクピットの中にはFAXのようなものがあり、様々な情報を送受信できます。このニュースも会社からテキストメッセージが送られてきて知りました。なぜ連絡が来るのか。もちろん急を要するからなのですが、理由はちょっと皆さんが想像することとは違うかもしれません。
よく驚かれることなんですが、飛行機は常にガソリン満タンで飛んでいる訳ではありません。なぜかと言うと、飛行機は軽ければ軽いほど性能が良いからです。荷物を持って子供をおんぶして歩くことを想像してみてください。最初は問題ないでしょうが、途中でおそらく右手で持っていた荷物を左手に変えるでしょう。歩くスピードも段々落ちてくるでしょう。子供の体重も重く感じてくるでしょう。歩く距離が長くなるほどお腹も空いてくるでしょう。車でも同じですが、荷物や乗る人数が多いほどガソリンの消費が増えます。より重いものを動かすには、より大きい力が必要なのです。重い飛行機を持ち上げる方が、軽いものより力が必要なのは簡単に想像できると思います。空港の展望デッキで飛行機が離陸へ向けて走り出すのを見ていて、なかなか浮かばないなと思ったら、それは飛行機が重い証拠です。乗客の数が満席近いか、天気が悪く大量の燃料を積んでいるか、のどちらか、あるいは両方です。よって使う滑走路の長さも、重量によって大きく変わってくるのです。
夏休み真っ最中の今は、乗客の数が通常より多い状態が毎便続きます。ですので不要な燃料を積んで不必要に飛行機の重量を重くすることはしません。天気が悪いのであれば当然多めに燃料を積まざるを得ませんが、昨日の日本、特に本州地方は概ね天気が良かったので、そんなに燃料の量を気にする日ではありませんでした。
しかし広範囲の太平洋沿岸に津波警報・注意報が出れば話は変わってきます。会社からのメッセージの内容は、緊急時に備え次の目的地では燃料を増やし、代替の飛行場を別にリストアップしておきました、というものだったのです。もし目的地の空港が閉鎖になると近隣の空港へ降りるしかありません。そしてその近隣空港に向かう飛行機の数は1機だけではありません。目的地を変更せざるを得ない飛行機が突然たくさんやってくることになるので、そこでは大混雑が予想されるのです。降りる順番を待っている間飛行機は止まれないので、グルグル回って待機せざるを得ません。だから多めに燃料を積む必要が出てくるのです。どの空港を選ぶか。どれだけ燃料を積み増すか。そういったことを計算して判断するのがパイロットの仕事なんですね。飛ばすという技術にどうしても目が行くと思うのですが、実は飛ばす前にいろいろ考える方が仕事の量としては多いのです。少し我々の仕事内容のイメージが変わってくるのではないでしょうか。
昨日は閉鎖された空港もありましたが、結果的に僕が乗務している間は緊急を要する事態に巻き込まれることもなく仕事を終えることができました。宿泊先のホテルに入ると「夕方に消防訓練があるので館内で避難指示が放送されますが無視して結構です」と説明を受けました。以前から予定されていた訓練のようですが、何もこんな日に。訓練中に本当に避難しないといけない事態になったらどうするんだろう。訓練だと思って誰も避難しなかったらどうするんだろう。こういうことを四六時中考えているから気になることなのでしょうか。考え過ぎなんでしょうか。僕の心配をよそに訓練は何事もなく終わったようですが、何か起こっていたらどう対処していたんでしょう。大袈裟だなぁと笑い話で終わることを祈るのみでした。
日本を旅行中の外国人の老人が急患として病院に来た話があります。日本語が全く話せません。病院側にも英語を理解できる人がいません。この老人は何度も “Tequila! Tequila!”「テキーラ!、テキーラ!」と言っているというのです。アルコール中毒ではないかということで血液検査をするものの問題はなし。ただ心臓の音には乱れがある。早くしないと、何がおかしいんだ。テキーラで心臓がおかしい。いったい何が起こっているのかさっぱりわからない。ついに若い医師の一人が翻訳アプリを使ってコミュニケーションを図る案を出しました。するとその老人が言っていた言葉は “Tickle here.”だったことがわかりました。心臓を指で指しながら「ここがムズムズする」と言っていたのです。それが病院側にはテキーラに聞こえていたそうです。心臓発作かもしれないと何度も訴えていたのです。すぐに措置を行い命を取り留めました。数日して退院する際に、彼はこの翻訳アプリを使った医師にテキーラをプレゼントしたそうです。そして添えられたカードにはユーモアたっぷりのメッセージが。
“Thanks for decoding my heart.”
「心臓を診てくれてありがとう(心を解読してくれてありがとう)」
笑い話で終わって良かったです。
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